いびつ過ぎる親子愛
先日、映画『MATHER マザー』を観てきました。
私はこの世の中の数少ない不変的なものの一つが人間愛、家族愛であると確信しています。
どんな時代であれ家族が愛し合う気持ちは変わらないと思いますし、変わって欲しくないと思っています。
ただ、家族愛と一口で言っても様々な形の『愛』があるのだと改めて思いしらされた作品でした。
今をトキメク大女優、長澤まさみ演じる主人公の毒親さに恐怖すら覚える場面も少なくありませんでした。
私自身、児童養護に関わる仕事を経験したこともあり、虐待や育児放棄(ネグレクト)を受けた子どもたちには強い同情と同時に一人でもこのような扱いを受ける子どもが少なくなる世の中になって欲しいと切に願っていました。
この作品の難しいところは母親が子どもを虐待する一方、時折見せる自らの弱さで子どもへの愛情も随所に見せているが故、子どもも“自分がいないとお母さんが困る“というマインドに引きずり込まれている部分だと思います。
その結果、お互いが
“共依存“
の関係になり母親のためならどんなことでもしなければという一種の強迫観念のような追い詰められた状態へとなってしまったことが大きな悲劇をよんでしまいました。
作品の終盤には母親からの指示により罪を犯した周平がそれでも母親のことが好きであると児童相談所の職員へ告げるシーンがありますがそこまでの愛情をどのように責められるのか胸が締め付けられました。
第三者から見れば明らかに虐待であるが当の本人たちは虐待している、されているとの感覚はなく離れることができない親子をどのようにすれば明るい世界が広がっている現実に向き合わせることができたのだろうかと自問自答しました。
親子間の事象においては社会が介入して然るべきラインを明確にするのが極めて難しい問題です。
答えのない正しい子育て
自らのお腹を痛めて、そして
『舐めるように育ててきた』
我が子はやはり母親の方針で育てるべきは間違いのない事実です。
しかし、子どもが物事の正義について判断できるようになるまでは様々な体験を通して命の尊さや感情の振り幅を育んでいき、何が正しく、何が間違っているのか人間愛の観点で自ら判断出来る様になるまで一定の距離感で寄り添える大人が複数人いる必要があると思います。
人それぞれの価値観が多くの人に受け入れられ、価値観の多様化についても日々多くの場面で議論が交わされている現在、その多様性のある価値観を作り出せる社会という環境をまずは我々大人が整備しなければいけない時代なのだと感じました。
まとめ
家族関係も多様化し母親1人による
『ワンオペ育児』
なる言葉も一般化している昨今
社会全体が子育て、育児について寛容になり
まさに
社会で子どもを育てる
必要性が問われていると思います。
これだけ少子高齢化が叫ばれ、人口減少に歯止めがかからない日本において多くの子どもを正しく育てることは社会全体で見ても有益であることを政治も含め多くの大人たちが気付くのはもちろん、それに必要なアクションも早々に起こしていかなければ
子育ては親の責任
という今までの価値観のまま、犠牲になっていく子どもは少なくならないと思います。
その第一歩を踏み出すためにも自分のことだけでなく家族はもちろん、社会へも関心が向けられる余裕のある心を我々大人は大切にしていければと強く強く思いました。
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